暮れから新年にかけて東ヨーロッパのクロアチアを訪ねた。アドリア海の群青色に感嘆し、宮崎駿アニメ『魔女の宅急便』の舞台そのままなドブロヴニクの赤い屋根瓦の風景にしびれた。だが、それ以上に印象に残ったのは、数世紀にもわたる苦難の時代も前向きに生き抜いてきた陽気な人たちとの交歓だった。
成田からパリ経由でクロアチアの首都ザグレブに飛び、国内線に乗り換えて、ドブロヴニクへ。8時間の時差のせいで途中から昼だか夜だか訳が分からなくなったが、機内にいた時間だけで約16時間。は~るばる来たぜ、クロアチア、である。
夜中の空港で出迎えてくれたのは、宿泊先のイヴォ・ムーヨさん(39)一家と地元アグリ・ツーリズム協会の人たち。ロボルノ村までは車で約15分。「月桂樹の村」という美しい名前の村だ。
今回の旅は、同村内の一軒家を拠点にクロアチアの南端、コナブレ地方の自然、文化、食、クリスマスを味わおうというアグリ・ツーリズム(農村観光)。「石の館」は石造りの洋館で、10人が同時に泊まれる設備がある。ドイツ、フランスなどからも家族連れが訪れる。日本人客はわれわれが初めてだった。
翌朝、ベランダに出て驚いた。下の盆地は一面の朝霧、東の空からは朝日が昇る気配。あわててカメラを取りに戻る。
この日から毎日のように〝アドリア海の真珠〟ドブロヴニクと周辺の観光に出かけた。同市は1979年、世界遺産に登録。古くからベネチアと並ぶ地中海世界屈指の海洋国家として知られ、強大なオスマントルコの圧迫にも抗して独立と繁栄を誇った。1667年の大地震では5千人以上の犠牲者を数え、1991年の独立の際の内戦では、旧ユーゴ軍による攻撃で街の8割が破壊された。だが、いまではすっかり復興し、市民の表情も明るい。
「ここが20年前には戦場だったとは信じられない」と言ったら、ガイドのマヤさん(64)が海のそばの暗い避難所の中で一日じゅう砲爆撃に耐えた日々を語ってくれた。「あのときの恐怖は絶対に忘れられないわ」
折からコナブレ地方はクリスマス・コレンダの最中だった。コレンダは「歌の集い」。村人たちは連日近所の家や隣村を訪れては共に飲み、食べ、歌い、踊る。酔った同士が「さあ、次、行こう」という調子で盛り上がる。われわれ遠来の客も仲間に入れてもらい、25日の晩は8軒回った。陽気なエネルギーの渦に引き込まれ、くたくたになった。楽しかった。
誤解されないように急いで断っておくが、国民の9割はカトリック信者。ミサは打って変わって敬けんで荘厳だった。
肝心のドブロヴニクの魅力を紹介する余白がなくなってしまった。旧市街入り口には中世の静けさを伝えるフランシスコ会修道院、石畳のプラツァ通り、階段の多い路地裏、全長2㌔の城壁巡り、ロープウエーで上ったスルジ山頂からの大パノラマ…。背景にはいつも紺ぺきのアドリア海があった。たとえスペースがあったとしても書き切れそうもないと言ったら、オーバーに聞こえるだろうか。
《あし》日本―クロアチアの直行便はない。成田からパリ、イスタンブールなどを経由してザグレブ空港に入る。
《あじ》ドブロヴニク旧市街の「プロト」は日本人客にも人気の老舗。シーフード中心の伝統料理とワインは一級品。
《クロアチア共和国》1991年6月、旧ユーゴスラビアから独立。人口約440万人。世界遺産は7か所。言語はクロアチア語だが、大抵の場面で英語が通じる。Ⅰクーナ=約15円。2013年7月1日、EUに加盟、28番目のメンバーに。
《問い合わせ》クロアチア政府観光局=電話03(4360)8384 info@croatia.jp