赤澤 信次郎

ラオスの朝は早い。「コケコッコォー」の声で目覚め、夜明けとともに托鉢の僧を待つ人の列に加わる。決して先を争わない男たち、はにかみながら合掌する女たち。通りで遊び回るのは、子どもたちと犬。周りは手付かずの自然。旅行者の独断で言えば、ここにあるのは“究極の昭和”だ。人も風景も、懐かしかった。


ビエンチャンのワッタイ空港に到着したのは午後6時前。上空から見る首都は、一面の緑。ホテルへの国道は渋滞していたが、他の国では悩まされたクラクションを鳴らす車はいなかった。まずは、レストランで民族舞踊を見ながらの夕食。ラオスビールがうまい。野菜はオーガニックで驚くほど味が濃い。ひき肉や魚の炒め物、腸詰めなどのラオス料理、「こりゃ、日本人好みだよ」と同行者らとはしゃぐ。

タート・ルアンは、都の塔という意味。聖なる仏塔だ

翌日は市内観光。タート・ルアンは高さ45㍍の黄金色の仏塔。11月の満月の祭りには国じゅうの僧侶と数十万人の人々が集まり、読経と托鉢が行われる。ワット・ホーパケオ寺院のパケオは宝石のエメラルドのこと。だが、エメラルド仏はシャム(タイ)軍に持ち去られたままだ。

市内のどの寺院にも無残な略奪、破壊の跡があった。代わる代わる攻め込んだのは、隣国のミャンマー、タイ、中国ら。さらに、フランスによる植民地支配があり、ベトナム戦争での米軍による空爆被害は当事国のベトナムを上回った。

そんなこの国の過酷な歴史を聞いた後だっただけに、ガイドのリーさん(42)の一言が胸に響いた。両てのひらを真正面に向けたお釈迦様の像を指して、彼はこう説明したのだ。「まあ、まあ、まあ、まあ、のポーズです」。

表敬訪問したラオス情報文化観光大臣に来年の「ラオス観光年」のイベント計画について質問したら、「具体的にはまだこれから」。逆に「日本から観光客に来てもらう、いいアイデアはないですか」と尋ねられた。まったく、のんびりしている。

3日目は世界文化遺産のルアンプラバン(ラオス読みでは、ルアンパバーン)へ。ビエンチャンからは空路1時間半。

翌日は早朝の托鉢、千軒もの露店が並ぶ朝市、ワット・シェントーン寺院と忙しく見回った後、メコン川クルーズへ。エンジンと水しぶきの音を聴きながら、ぼーっと川風に吹かれる。途中、サンハイ村で酒造りを見、聖地パクオーの洞窟に上がる。街に戻ったら、ちょうどプーシーの丘の日没に間に合った。

温和でゆったりした国民性は昭和30年代、いや、戦前の日本人に近いかもしれない。なかでも印象に残ったのは、タート・ルアン広場のスズメ売りだ。スズメはかごに2羽入っていて、2ドル(約160円)。買った客はふたを開けて逃がしてやる。先祖の供養になるという。もっとも、売り手は家の庭に米をまけば、すぐまた捕まえられるんだそうだ。

もう一つは、雨傘を差して街を走るバイク。まさかと目を疑ったが、リーさんは気にも留めない。「ここでは普通ですよ。女の人は日傘も差して走ります。日焼けするの嫌だから」。

好きだなあ、この国の人たち。

(2011・9・30付『東京中日スポーツ』から転載)

《あし》日本からラオスへの直行便はない。成田―ベトナム・ハノイはベトナム航空で約5時間。ハノイ―ラオス・ビエンチャンは約1時間半。ビエンチャン―ルアンプラバンはラオス航空で約1時間半。ラオスの時差は日本時間マイナス2時間(日本の正午がラオスの午前10時)

《あじ》代表的なラオス料理は、ミンチ状の肉や魚を炒めた「ラープ」や腸詰め。主食は「カオ・ニャオ」と呼ばれるもち米。手でピンポン玉ほどの大きさに丸めて食べる。

《問い合わせ》日本アセアンセンター 電話03(5402)8001

2015・5・23サイトにアップ

赤澤 信次郎

雨の日も風の日も托鉢は休めない=ルアンプラバンで

通りでアヒルのヒナと遊ぶ子。「踏んじゃダメ!」と父親。