足利市街の北郊に、長い塀を持つ旧家らしいたたずまいで建つ。旅館に見えず、通りがかりの人が「お寺ですか」と聞いてくることもあるそうだ。
それもそのはず。巖華園はもともと江戸・明治時代の建物が中心の民家であり、旅館となったのは太平洋戦争後のことだ。
経営する中島家は遠祖が源姓足利氏につながる。16世紀末に姓名を足利義久から中島主膳と改めたのが中島家のはじまりで、現在の当主の中島太郎氏は第十五代に当たる。
瓦屋根の表門を潜ると、正面に主屋があり、右手に宴会場の芙蓉亭、左の塀伝いにラウンジでもある巖華園倶楽部や土蔵の好時亭がある。そして主屋の後ろに棟続きで蔵と新蔵があり、芙蓉亭の背後にゲストハウスが建つ。このうち芙蓉亭を除いた7棟が登録有形文化財として登録。主屋、好時亭、新蔵は江戸時代末期の建築だ。
主屋へ入るとロビー、ラウンジで、時代が一気にさかのぼる。明治時代の木製テーブルがあり、古いレコードプレイヤーや、アール・ヌーボー調の照明器具が置かれている。ラウンジの天井は、農家の古材を転用した重厚な小屋組み。ハイカラな旧家の華やぎがただよう。
客室は6室。主屋の奥の蔵や、東側にある土蔵の好時亭が客室にあてられ、和室とツインの洋室が3室ずつ。主屋の和室は食事処になっている。
食事処から見える庭が名園で、国の登録記念物(名勝地)。眼前の山の斜面に露出する岩盤を生かし、手前に心字池を配した。その中に「瀬田の唐橋」など近江八景を取り入れる。夜はライトアップされ、夕食時に室内の明かりを消して庭園を鑑賞する演出は、大女将がよくやる遊び心。控えめだが気くばりを感じ、家族で作る懐石風コース料理とともに、ムードよく楽しめる。
庭園は江戸時代の文人画家である谷文晁が作庭し、三河田原藩士で画家でもある渡辺崋山が命名したという。旅館名の巖華園も崋山が付近の字名の「岩花」の岩(巖)と、自分の崋山の「崋」からつけたそうだ。江戸時代から文人墨客の訪れが多かったのだ。戦後に旅館になってからは檀一雄、坂口安吾、武田泰淳、山本健吉らが訪れ、風呂場には坂口安吾の筆跡で「花の下には風ばかり」の石板がある。
当主の中島太郎氏は郷土史に詳しく、祖父の粂象氏は交友関係の広い明治の経済人で、父の粂雄氏も郷土の総合誌『足利文林』を主宰するなどの文化人。こうした文化的環境の伝統が、多くの文人を呼んだのだろう。話の上手な太郎氏は、機会があれば宿泊客に足利の昔話を語る。
NHKの大河ドラマ「太平記」の縁で、近年は俳優も訪れた。主演の真田広之ほか、緒方拳、近藤正臣などなど。映画「わたしのグランパ」撮影で訪れた菅原文太は、1ヵ月以上も滞在したそうだ。よほど居心地がよかったに違いない。
巖華園
栃木県足利市月谷町8-1
0284-41-2338
1泊2食付き1万3860円