「松浦党宣言してよかきゃ?」。2016年の会報誌『旅びと』に寄稿した拙文のタイトルですが、そこに込めた思いがようやく叶ったような今回の受賞です。松浦党とは、攻め寄せる蒙古軍に対して一歩も引かず、「神風」を味方にしつつ一致団結して蹴散らした水軍の呼び名で、松浦市はその本拠地だったとされています。
/日本旅のペンクラブ会員 福田章(文筆業・新聞記者)

「アジフライの聖地」は友田吉泰市長が初めて市長選に立候補した際の公約の末尾に記されていた項目です。当選から約1年後の19年4月、独自の憲章8カ条を定めて「聖地」宣言。日本有数のアジの水揚げ量とその質の高さに着目した意外性抜群の取り組みでした。私も西日本新聞の「もっと九州」という欄で、いち早く紹介しました。刺身でいただける新鮮なアジを揚げるプリプリふっくらの「松浦アジフライ」は、瞬く間にグルメな旅人たちのハートと胃袋をつかんだのです。かく言う私は松浦沖に見える大島(平戸市)出身で旅ライターを名乗りながら、生まれつき海の幸が苦手というスットコドッコイでした。それが松浦のアジフライだけは好んで食べられます。松浦は度し難き偏食漢の私を「真人間」に近づけてくれた、文字通り、聖なる地でもあります。

そして、水中考古学。1980年に始まった鷹島海底遺跡調査では、これまで3隻の元寇沈没船が発見されました。これは調査を主導してこられた國學院大の池田榮史教授の功績大といえるでしょう。750年も前の歴史の真実に迫ろうとする男の情熱。ともに潜る市文化財課の職員たち。国を巻き込み、やがて沈没船が引き揚げられた暁には、聖地どころか世界遺産どころか、それ以上の騒ぎになるに違いありません。私は、今は無き「現代旅行研究所」(東京)で旅行出版界に足を踏み入れた者ですが、鷹島海底遺跡には〝古代水中旅行研究所〟に宗旨替えしたい
ほどの夢とロマンを感じています。
栄えある受賞で、人口約2万人の小さなまち松浦市に二つの聖地が存在すること。それは玄界灘という壮大な舞台が演出した恵みであることを、多くの人たちが知る絶好の機会になるよう願っています。心より受賞おめでとうございます。会員・会友の皆さま、日本西端の聖地巡礼へようこそ。
