赤澤 信次郎

ハンガリー、前々から気になる国だった。欧州の中に根付いたアジア。赤ん坊の尻には蒙古斑、姓名の順は日本人と同じ。悠々と流れる大河ドナウ、温泉大国、ワインとフォアグラ、民族音楽の東洋的な懐かしい響き…。全部、素敵だった。4日間いただけで、ちょっと単純過ぎるけど。

ウィーンからブダペストまでは列車で3時間。途中、国境を越える。共産主義の崩壊で、宮本輝が『ドナウの旅人』に書いたような自動小銃を持った兵士による検問などないことは分かっていたが、パスポートチェックさえなかった。拍子抜けした。ハンガリーに入ってからは、平原と田園風景がどこまでも続く。

宿はドナウ川のほとり、スパ施設が自慢のダヌビウス・ホテル・ヘーリア。早速、水着に着替えてスパへ。だが、日本の温泉とは全然勝手が違った。4つ並ぶ浴槽のうち最大は水温26~28度、水深1.4メートル。湯舟と言うよりは温水プールだ。あわてて38度の方に移り、首まで浸かって、やっと人心地つく。

翌日は、ドナウ川にかかる鎖橋を見た後、西岸のブダ地区にある王宮の丘に登った。ケーブルカーから見下ろす眺めがおとぎの国のようだ。マーチャーシュ教会は、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇妃エリーザベト(シシィ)の戴冠式が行われたところ。昼食は有名な「カフェ・ピエロ」。度数50度という果実酒パーリンカに陶然となる。
「ハンガリー語は文法的にも日本語と共通点があって、よく似た単語もあるんですよ」。東京の中学校を卒業したというガイドのレーカさんとの会話が楽しい。水はヴィーズ、塩はショー。「『塩が足りない』は、『ショー、タラン』です」

この後、市内随一の繁華街ヴァーツィ通りをぶらつく。裏通りに入ると家々の壁の無数の弾丸の跡に驚く。この美しい都は65年前、日本と同じ敗戦国となった第二次大戦で破壊され、55年前のハンガリー動乱では旧ソ連軍の仮借ない侵攻を受けた。無残な壁はその歴史の証人なのだった。
3日目はハンガリーの国民的作曲家フランツ・リストの足跡をたどる「リスト・ツアー」。晩年の彼が毎日通ったという教会で、アストリック神父の説明を聞く。突然、意外な言葉に驚かされた。「今の私たちに不足しているのは、生真面目さです。日本人に学びたいと思います」
午後、レーカさんの友人で、障害者支援会社社長であるセケレッシュ・エリザベートさんを隣のチョモルー村に訪ねた。35年前、知能に障害を持つ息子のティボル君のために始めた事業で、仕事は農業、縫製業、陶芸など多種多様。現在17か所の施設で620人の障害者と60人のスタッフが働きながら共同生活を送っている。障害者たちの変化は、劇的というのに近い。
「私はただの主婦で、母親。誰もやろうとしないから仕方なく始めただけ。でも、始めた以上は続けるしかないんです」
勇ましくて、優しい。ますますハンガリーびいきになった。

(2011・5・27付『東京中日スポーツ』から転載)

【ガイド】
《あし》

成田―ブダペスト直行定期便はないので、ヨーロッパの主要都市を経由する。トルコ・イスタンブール経由の場合、成田からは約12時間30分、イスタンブール―ブダペストは空路約2時間(時差±1時間)。オーストリア・ウィーンを経由し、レイル・ヨーロッパの鉄道を利用する場合は、成田―ウィーン12時間、ウィーン―ブダペスト(鉄路)約3時間 

《問い合わせ》ハンガリー政府観光局(東京)☎03(3798)8870

【味】
王宮の丘の『カフェ・ピエロ』(☎+36・1・375・6971)は、建物が重要文化財のレストランで、日本人客にも人気。ステーキ・ブダペスト風の上にフォアグラがぼってり載ったメーン料理と赤ワインの取り合わせがゼイタク~。

フォアグラがぼってり、「ステーキ・ブダペスト風」=カフェ・ピエロで

ドナウ川にかかる鎖橋と対岸のペスト地区=ブダペスト市内で

天にそびえる聖堂の尖塔=王宮の丘で

2015・10・30サイトにアップ

赤澤 信次郎