赤澤 信次郎

本土よりも大陸の方が近い“国境の島”対馬と壱岐を訪れた。ともに日本海に浮かぶ小島ながら日本史の黎明期から“一国”としての待遇を受けてきた。その名残で、地元ではいまも自らを「対州」「壱州」と呼ぶ。海と山の美しい自然とは裏腹に、ある時は被害者として、ある時は加害者として、避けることの出来なかった過酷な歴史を持つ。「国って何だろう」と考えながら歩いた。


博多港を出た高速船は玄界灘を越え、壱岐の芦辺港まで約1時間。心配した波も風も穏やかで、快適な船旅だった。

旧日本海軍が切り開いた万関瀬戸=対馬で

まず“海女の里”八幡浦を訪ねる。素潜りでウニやアワビを捕る海女はこの地区だけで58人。浜で“壱岐のあまちゃん”こと、大川香菜さん(30)と会った。岩手県陸前高田出身で、東日本大震災後の一昨年春、島に移住した。「亡くなった父も元漁師。どうしても海の仕事をしたかったんです」。昨年、島の漁師・漁志さん(33)と結婚。高齢化と後継者難に悩む島で、期待の新人海女さんだ。

内海(うちめ)湾の海面に石の鳥居が突き出ていた。小島神社は干潮時には海が割れて参道が現れるパワースポット。「世界遺産のモンサンミッシェルに例えたら、さすがに言い過ぎですかね」とガイドの伊佐藤由紀子さん(55)。壱岐・対馬は「神道発祥の地」とも言われる“神々の島”だが、その中でも一番好きな神社だと言う。

この後、一支国(いきこく)博物館、弥生時代の王都・原の辻(はるのつじ)、双六(そうろく)古墳と巡り、『魏志倭人伝』の古代ロマンをしのぶ。
住吉神社の壱岐神楽は日本で唯一、神職だけで舞う神楽。祢宜の川久保貴司さん(42)が言った。「神事ですが、島の人たちもわいわい楽しみながら見てくれます」。

翌日は、黒崎半島の「猿岩」へ。一目見て、声が出た。「おっ、猿だ!」。透明な海と海岸美が圧倒的な「辰の島クルーズ」では断崖ぎりぎりまで迫って行く遊覧船船長・松尾勝さん(67)の見事な操船に息をのむ。

午後、隣の対馬に渡った。島の北部から韓国の釜山までは49.5㎞。気候条件次第で海の向こうの明かりが見える。

その近さが元寇、秀吉による朝鮮出兵をはじめとする血なまぐさい戦と、交易による繁栄を島にもたらした。江戸時代の朝鮮通信使は両国の必死の関係修復努力だったが、それがまた対馬藩を板挟みの苦境に追い込んだ。対馬歴史民俗資料館に収蔵されている膨大な宗家文書がそれを物語っている。
城下町・厳原で韓国人観光客の姿を何度か見かけた。両国間に平和と文化交流が深く根を下ろし、この町が“小国際都市”と呼ばれる日が来るといいのだが…。
 
対馬には白村江敗戦後の古代城壁を手始めに、鎌倉期から昭和期までの各時代に築かれた要塞が建ち並ぶ。万関瀬戸は、日露戦争に備えて旧日本海軍が掘削した運河だ。島に31か所もある砲台跡の中で最大の姫神山砲台跡に登った。28cm榴弾砲を撃つための観測所跡に立てば目の下の対馬海峡は、戦とは何の関わりもない、はろばろと広がる紺ぺきの海。この絶景の中で争い合い殺し合う人間の愚かさを思った。

(2015・7・14付『東京中日スポーツ』『中日スポーツ』から転載)

「壱岐のあまちゃん」こと、海女の大川香菜さん

自然の造形の妙、「猿岩」。鼻の穴まである=壱岐・黒崎半島で



【ガイド】

《あし》羽田空港―福岡空港は約1時間40分、博多港―壱岐・芦辺港はジェットフォイル『ヴィーナス』で65分。芦辺港―対馬・厳原港は『ヴィーナス』で65分。福岡空港―対馬空港は約30分。
《問い合わせ》壱岐市観光連盟=電話0920(47)3700、対馬観光物産協会=電話0920(52)1566、長崎県東京事務所=電話03(5212)9025。 
《あじ》『対州黄金あなご』=対馬西沖のアナゴ漁は水揚げ日本一。大きくて、脂がのっているのが特長。豊玉町で活魚問屋が直営する「あなご亭」=電話0920(58)2000=の『あなご尽くし』は、あなごずし、刺し身、天ぷらなどがセットで、3000円と5000円の2コース。前日までに要予約。

【寄り道】
『万松院』
旧対馬藩主・宗家の墓所。前田藩(金沢)、毛利藩(山口・萩)と並んで「日本3大墓所」の一つとされる。
建立は1615年。百雁木と呼ばれる132段の石段が幽玄なたたずまい。桃山建築様式の山門の奥に初代・義智をはじめ歴代藩主の墓が並んでいる。境内の大杉は樹齢1200年と伝えられ、長崎県指定天然記念物。

【ただいま】
『魏志倭人伝』にある「邪馬台国」はいまだに古代史最大の謎の一つだが、同じ文中の「対馬国」「一支国」については異論の余地がない。しかも、その描写の簡潔で的確なこと。出掛ける前に一読したおかげで1700年変わらぬ島を実感した。

2015・7・29サイトにアップ

赤澤 信次郎