ヨメが見つけてきた某社の熊本ツアーに参加し、通潤橋(つうじゅんきょう)の放水を見学してきた。
通潤橋は1854(安政元)年に惣庄屋の布田保之介(ふたやすのすけ)が計画し、石工丈八(じょうはち)が地元矢部郷の住民の協力で建設した、6キロほど北の水源から南側の台地に水を送るアーチ型の水路橋である。
通潤橋最寄りの通潤山荘が宿泊地だったが、到着が午後6時頃ですでにあたりは闇に包まれており、橋の姿は翌日のお楽しみとなった。翌朝、宿のエレベーターホールの窓から木の間越しに橋が見え、期待は高まる。宿ができた頃は、橋がきれいに見通せたのだろう。
宿から歩いて行くのかと思ったら、バスですぐ近くの道の駅「通潤橋」へ。駐車場で地元ガイドと合流し、コイの泳ぐ川を渡り通潤橋に向かって歩く。橋の近くで放水を見上げるのかと思ったら、栓を抜くところを見てほしいので、橋に上がれとのこと。
左手の斜面に道(階段)があり、上がってみると橋の上は意外と広いが、手すりなどないのでちょっと怖い。3本の石の列が見えるが、この石が中をくり抜いてつないだ導水管だ。その間は土で埋められているが、昭和35年の重要文化財指定後見学者が増えたため土を入れたという。当時高さ30メートルの石橋を造る技術はなく、20メートルの石橋を架け、10mほど上の取水口から橋を通って4mほど上の吹上口まで逆サイフォンの原理で水を流している。そのため、水路にたまったゴミなどを排出する必要があり、放水が行われるのだ。
やがて開栓担当の藤原さんが登場、代々開栓を担当している家だという。これから3本すべての栓を抜いて、15分ほど、約300tの水を放水する。「びっくりしますよ」と言ってまず西側の栓を抜いたが、いきなり轟音と共に水が吹き出し、確かにびっくりする。すべての栓が抜かれたあと、写真を撮りながら橋の下へ降り、放水を堪能した。
やがて水の勢いが弱くなったが、これは栓をする前に取水口で水を止めるからだという。橋の上で栓を打ち込む藤原さんを見ながら、通潤橋を後にした。