2012年5月。所用があっておよそ10年ぶりに倉敷を訪れた。午後の時間が空いたのでさっそく付近を散策することにする。倉敷駅南口から目抜き通りである「元町通」を進むこと10分足らず。倉敷国際ホテル手前の交差点を左に折れると目指す美観地区が現れた。それまでのビルが続く街並みが一転して、“町”並みに。倉敷川沿いには、生成り色に風化した白壁の蔵屋敷が密集。初夏を思わせるやや湿った風に、地面すれすれにまで垂れた柳の枝が簾のように揺れている……。
聞いたところによると、この風雅なたたずまいは、江戸時代の寛永19年(1642年)に幕府の直轄地である天領となってから、形を成してきたものらしい。今でこそ全国でこうした町並みに注目して、地元の振興に活用するケースは多いけれど、この地は1968年に倉敷市伝統美観保存条例、1978年は倉敷市伝統的建造物群保存地区保存条例、そして2000年には倉敷市美観地区景観条例を制定と、長い年月をかけてじっくり町並み保存の運動に取り組んできた歴史をもつ。写真だけで見ると映画のセットのように見えてしまうかも知れないが、実際に歩いてみれば、地元の人々のふだんの生活の営みが感じられ、気負いがないところが心地よい。かつて白川郷で世界文化遺産の合掌家屋に日常暮らす人々の姿(茶の間が外から丸見えで、親子が食事している姿が見えてしまう)に、当初観光のイメージを強く持って入村した私は、とても面食らった経験があった。結局はその普段着の光景にとても惹かれたわけだが、そのときの感じとどこか似ているような気がする。
ゴールデンウイーク明けの平日にもかかわらず、かなりの人出。カップル、親子、団体、老いも若きも様々な旅人たちが、堀割沿いのそぞろ歩きを自分たちのペースで楽しんでいる。呼び込みの声も少なく、実は地元の人が知らないような“ご当地”みやげも見当たらない……こうした長年にわたって培われてきた自然体の姿こそ、倉敷・美観地区の最大の魅力なのだろう。