伊豆は古代から半島に沿って港が開け、列島各地からの海運が発達していました。
戦国時代になって北条早雲(後北条)が伊豆半島を制覇して、細かい記録が残るようになりますが、平安末期にも源頼朝や文覚が流されてこの地に上方からの文化のタネを伝播したといわれます。が、それ以前から、半島の各所には寺社が建設され、中央の仏像が船でやってきたのです。
伊豆東海岸の河津町は,谷津や峰の温泉と春に先駆けて咲く「河津桜」で有名ですが、その川沿いの山にはかつて大きな寺の伽藍がありました。
1432年の大きな地震とそれによって起こった山崩れで寺は壊滅しましたが、「那蘭陀寺(ならんだてら)」という中部インドのナーランダ仏教寺院の名前を取った寺があって、奈良時代を彷彿とさせる仏像が土砂に埋まりました。
それから100年後、鎌倉の南禅という僧がこの地に温泉療養にやってきて土に埋もれた仏像を救い出し、現在は山中の寺とは言えないような保管のための南禅寺と呼ばれる山中のお堂に24体の仏像があります。国重文が1躯、この寺の他に峰温泉の脇の堂に平安期の十一面観音があって、秘仏とされ、個人が代々大事に護っておられます。
2件とも住職もおもりの坊さんもいません。河津の各地区の人々がお金を出し合ってこの500年を護って来たのです。さて、下田の先にある蓮台寺にも、かつて存在したといわれる蓮台寺の本尊の大日如来(平安期の密教の仏像)が、ナーンと地元の神社のご神体になって「神明さま」と崇められています。
ここもお坊さんは不在で、宮司の板垣さんがご幣を振ってお経の代わりに粛々と祝詞があげられます。しかも、この「神明さまという大日如来」は国重文です。
このほか伊豆半島の山中には仏教関係の面白いところが沢山ありますね。