「南国 鹿児島のそれぞれの旅(船、飛行機、新幹線)」|堀内義章(日本旅のペンクラブ 理事・ストレージアナリスト)

日本列島は、北は宗谷岬から南は沖ノ鳥島まで約2,845キロメートルあるが、気温はまるで正反対。北海道は3回、鹿児島には5回訪れた。近々訪れた鹿児島に焦点を当てて、まとめてみた。昨年の11月初め、ゴーツーキャンペーンを利用した田舎(福尾県・飯塚)から兄弟3人のドライブの旅をした。実は、兄弟妹4人で、皆が70歳になったら温泉地を毎年回ろうと約束をしていた。が、妹は64歳で天国へ行ってしまった。ガンだったが、ある時、妹が「兄ちゃん悪いが、65歳で温泉旅行しない」との話があり、別にいいよと返事をしていたが、その話が出た翌年に亡くなってしまった。恐らく、その時に自分の寿命を感じていたのかもしれないと思った。その意味で、妹抜きで最初は2018年に大分の鉄輪温泉、熊本の阿蘇高原の温泉へいった。そして鹿児島は兄弟旅行の2回目で、霧島の知人が経営している旅行人山荘へ2泊3日の旅だった。ここには日本旅のペングラブのメンバーと3年ほど前に来たことがあり、その自然の素晴らしさを体感した。折からのコロナ感染拡大だったがゴーツーキャンペーンは大きなメリットがあった(35%の割引、5千円の地方券)。霧島温泉にある旅行人山荘は、海抜700メートルの位置にあり、ちょうど約5時間強で着いた夕方は、夕焼けに染まった桜島と開聞岳を同時に見ることができた。めったにないとのこと。敷地は5万坪で、一昨年100周年を迎えている老舗の温泉。温泉風呂は共同が男女であり、それにプライベート風呂は4つ、かつ屋外もあり、自然の中に吸い込まれる温泉だ。庭には親子の鹿が散策しており、益々の自然の中に人間と動物が共生していることをひしひしと感じる。

初めて鹿児島に訪れたのが、学生時代(1964年ころ)でいわゆる「カニ族」で、リュックを担いで田舎(福岡・飯塚)を出発、国鉄(現JR)で佐賀、長崎、熊本、鹿児島、宮崎、大分と周遊チケットで九州を一周した。長崎で台風の目に入ったりした。その時に初めて鹿児島へ。最南端の佐多岬や指宿温泉、そして桜島に船で渡ったことを思い出す。2回目は、大阪市が所有していた帆船「あこがれ」のクルーとして1週間乗船し、鹿児島まで航行したこと。途中、四国沖で暴風雨に会い、大幅に船が揺れて、ゲロゲロと吐いたこと、宮崎沖ではイルカが船の周辺に現れ、数十匹が伴奏したこと、深夜のウオッチで、キールホッフ彗星群が見えたこと、帆船のラダーを操作したが、日ごろのヨットに乗っていた筆者にとって、全くラダーの操作方法がことなることなど経験した。鹿児島では港に入る時に搭昇礼で帆船の再先端に昇って鹿児島湾に入港したことなどを思い出す。3回目は、鹿児島新幹線ができたとき、夜行便のサンフラワーで鹿児島まで行き、市内を見学し、鹿児島から新幹線「さくら」で一気に大阪まで戻り、時間が約4時間40分で、2シートでグリーンに乗っている気分で大阪まで戻ってきたこと。鹿児島駅にはさつま揚げを揚げたてですぐの物が駅構内で買えたことなど思い出す。4回目は、日本旅のペンクラブ関西部のメンバーで、霧島温泉の「旅行人山荘」を訪れ、蔵前壮一社長(現会長)から、黒酢のお店や、桜島など案内してもらったことなどがあった。蔵前社長は、その1年間前に同じく日本旅のペンクラブのメンバーで韓国を訪問した時に知り合い、その縁で、昨年の兄弟での訪問となった。

5回とも、それぞれ、交通手段や意味合いが異なり、思い出深い味わいのある鹿児島の旅となった。世の中はバーチャルやデジタルの世界に入っているが、人間はアナログで感情と感性の生身。旅をして初めて、地域や町の風情や温泉など日本らしさが味わえるもので、絶対に感性は、デジタルでは味わえない。旅は、人間の日々の感性を高め、異なった町や発見を見出す場所。元気な限り、永遠に国内外を通じての旅を続けてゆきたい。
(堀内義章/日本旅のペンクラブ 理事・ストレージアナリスト)

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旅行人山荘から見た夕方の桜島・開聞岳