旅の歌を聴きたい|井上紳司(大阪さくら会代表幹事)

「上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中♬」、石川さゆりはわずか11秒で約700キロメートル先の青森に私たちをいざなった。

背伸びして見た函館から、旅路の果ての桜島まで、[港町ブルース]で森進一は2200キロメートルを駆け抜けた。子供のころ、ラジオやテレビから流れる歌謡曲は日本中の名所や観光地、に連れて行ってくれた。

ブラクリ町の[和歌山ブルース]、万代橋の[新潟ブルース]、ご当地ソングは、47都道府県すべて制覇した出張族の私にとって、不可欠の営業ツールだった。

札幌すすきのではカンカンのストーブの熱気、博多の中洲ではもつ鍋の余韻、スナックでのカラオケは旅情あふれるものだった。

だがしかし、最近のヒット曲に旅は登場しない。猫になったり、香水のせいだったり、二人だけの空が広がるのだけれど、誰も旅に出ないのは、なぜだろう。

旅に出ているのかもわからないが地名がない。

図書館で「漫画でわかる作詞入門(リットーミュージック社)」という最新の作詞教本を借りてみた。歌というのは音楽プロジューサーの下、作曲と編曲が完成してから歌詞をつけるものらしい。朝ドラ「エール」で主人公裕一は歌詞をもらってどういう曲にしようかと七転八倒するのだが、メロディを先に作るようだ。

メロディはAメロ+Bメロ+サビの3部構成になっていてそれぞれの役割が定義されているとのこと。

この本によるとAメロの歌詞は聞いた人が共感できるあるあるネタでサビのきっかけを表現し、Bメロで客観的な背景やストーリーでサビの理由を語り、最後にサビでシンプルかつ強烈な今の感情を歌い上げると書いてある。このパターンで歌詞を作ってみると

Aメロ:新大阪駅でマックバーガーを食べている女の子と目があった。
 Bメロ:朝一に東京から新幹線乗って、上司が横でしゃべるので何も食べていない。
 サビ:腹減った、食いたい、食いたい。

例えば「失恋して、彼との思い出を忘れるために一人寂しく京都に向かう、夏の琵琶湖の夕日が痛い」という失恋シチュエーションで歌詞を作ると、列車に乗ること自体が一つの大事業だった時代には深い共感を得たが「失恋して新幹線で京都に行くの」「ふぅん、それでどうしたの?」というつっこみはあっても共感ではなくなった。

今共感を得るのは、旅の途中にホームを間違えて乗り遅れたとか、京都鴨川で睦まじい恋人たちを見ながら八つ橋で彼との思い出をかみ砕いたとかのあるあるネタなのだろう。

テレビには全国の穴場やグルメの情報があふれ、ネットで情報は潤沢にとれるが、旅先での私だけの体験を誰かが歌にしてくれると「あっ、私のこと」と共感し、うれしくなり、ヒット曲となるのか。

若者も、「コロナが終わったら旅に出たいです」と言う人は多い。しかし、私世代の旅への幻想と彼らの幻想は異質なのだろうか。

高知にて海の音を聞きながら誕生日を迎え、旅の歌を聴きたいと思う。そして、目的のない旅をしたい。
(井上紳司/大阪さくら会代表幹事)

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65才の誕生日、高知海岸にて