コロナと寅さんと鰻温泉|いからしひろき

数少ない2020年度の旅の中で、最も思い出深いのは鹿児島霧島市への出張のついでにレンタカーを借りて足をのばした指宿の鰻温泉だ。温泉ファンにとっては西郷隆盛も滞在した有名な湯治場として、映画「男はつらいよ」ファンにとっては第34作で寅さんとマドンナ大原麗子が足を運んだ聖地として、いつか行きたいと思っていた場所だ。

場所は指宿の温泉街から車で20分ほど山間に入ったその名も「鰻池」の湖畔。直前に立ち寄った薩摩藩ゆかりの「殿様湯」で“県外の人のお断り”という切ない目に遭ったばかりなので少し心配したが、そこは新型ウイルスが巷に未曾有の災禍を引き起こしていることなど嘘のように静かでひなびた温泉地だった。

区営の鰻温泉はほとんど貸切り状態。たっぷり1時間入った後、もう一つのお目当てである「男はつらいよ」のロケで使われた民宿を探してみると、わずか3分で見つけてしまった。というのも、映画に出てきたのとほとんど変わらない姿でそこにあったからだ。名前も「うなぎ荘」と一緒である。

「こんにちは……」

恐る恐るサッシの入り口を開けると、そこは食堂になっていて、高齢の女性2人が話をしていた。そのうちの1人が、うなぎ荘の女将、三浦和子さん。腹も減っていたので丼物でも食わせてもらおうと思ったが、何年も前から営業を辞めているとのこと。民宿営業もしかり。いまはお隣さんと茶飲み話をすごす日々だそう。

「みかん食べな」

いきなり現れた口ぶりからも地元の人間とは思えぬ怪しい筆者を前に、当然のように食べかけのみかんやら、手で皮を剥いた(当たり前だが)梨やらを進めてくれる女将さん。時節柄一瞬躊躇したが、ここで断ったら男がすたる。きっと寅さんなら「ありがとよ」と言ってむしゃむしゃ平気で食べたであろうと思いながら、「あ、ありがとうございます」と遠慮気味に受け取りチビチビ食べた。

ふと壁を見上げると、取材に来たと思しき芸能人の色紙がズラリ。どれも古びてはいるが、さすが聖地だ。筆者みたいな突然の訪問者はごまんといて、女将さんも慣れているのだ。

さて、食べるものもなく間を持て余していると、「ちょっと中見てみるかい?」と女将さん。とっくに仕舞屋になった民宿の中を拝見させて頂いた。ザ・昭和のたたずまいはまるでドラマのセット。長く使っていないせいで多少埃っぽくはあるが、奥の風呂場も十分使えそうである。

なぜ辞めてしまったのか?

そう聞くと、はっきりとは聞き取れなかったが、源泉から「お湯が出なくなった」とかなんとか。まあ、いろんな理由があるのだろう。

そもそもウナギ漁をやっていたご主人と、高度成長期の旅行ブームの時に「試しにやってみるか」と始めた民宿だそう。その歴史もまもなく終わろうとしている。

まさに昭和のワンシーンがそこにはあった。このコロナ騒ぎもいつか思い出の一コマになるのだと思うと、ちょっとだけ心が軽くなった。
(いからしひろき)

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うなぎ荘女将さん