渡り鳥のように生きる大阪・石垣島・旭川/コロナ禍に八重山で釣り三昧|池内嘉正(旅の渡り鳥)

渡り鳥のように生きる大阪・石垣島・旭川

戦前、戦中、戦後を体験。昭和、平成、令和と人生、渡り鳥のように好きなように世界各地を飛び回って80年間を過ごしてきた。気がつけば夏は旭川(6月〜10月)、冬は沖縄、石垣島(1月中〜2月)、と気候の良いところに生活拠点を置いて6年を経過している。

生まれ故郷の大阪には一年の内、半分の根無し草。これも人工股関節の手術のお陰である。74歳の時に右足股関節の骨頭が壊死と診断され、2014年6月に手術。退院後は涼しい北海道でリハビリに専念と決め、退院の2日後には旭川に飛んでいた。何事も決めたら即実行、周りのことなど考えない性格は吉と出る時も凶と出る時もある。何事もやってみなければ解らない。人生なるようにしかならないがモットーであるが、しかしどんな時でも細心の注意と最大の努力を怠らない。現在の基礎を築いてくれたのは55年前の27歳の時、ブラシ会社勤務の社長が世界1周の出張を命じられたお陰である。1965年にアラスカのアンカレッジ経由でコペンハーゲンに降り立った感激は今でもしっかりと覚えている。その後60歳で日本の島巡り60島(日本の島再発見、2001年出版)。2002年〜2009年70歳の古希に地球の島巡り70島を達成(北極点から南極点も夫婦で踏破)。

63歳の年にミクロネシアの島々から訪れた。最低、島には1週間滞在した。諸島では2週間滞在することでスタートした。南米(南極)とガラパゴスは1ヶ月滞在。マーシャル諸島のマジュロ島。チューク、ポンペイ、ロタと戦時中は日本とは大いに関係があった島々で今でも多くの日本人が島民となって生活している。7年間も家を留守にしたことや、全てを犠牲にして達成できたことに感謝の気持ちが一杯であった。決して体力的に強くない女房が乗り物酔いにもなれ、旅を共有できたことが二人の生涯の宝物となった。喜寿を迎えて人生一段落と思う間もなく今度は世界の島へ1ヶ月単位で移住することに目標を変えた。2013年ノルウエイ、カナリヤ諸島(スペイン)、南米と毎年1ヶ月単位で滞在した。今までの島巡りとはひと違う旅に大いに満足した。2014年の7月からの次の旅を計画したのは念願のアラスカのアリューシャン列島だった。しかし、右足人工股関節の手術の為断念。6月に手術、8月退院。旭川移住。10月に帰阪。2015年1月に沖縄、石垣島と渡り鳥生活が始まった。冬は石垣島で釣りとゴルフ、夏は旭川で温泉三昧、春と秋は大阪で暮らす渡り鳥生活は人生最高のものとなった。。80歳にして見つけた現在の暮らしに大いに満足している。

第一の故郷 大阪 第二の故郷 石垣島 第三故郷 旭川
冬は南へ 夏北へ ふるさと巡る 渡り鳥
(池内嘉正/旅の渡り鳥)

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石垣島 川平湾

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