「道産子(どさんこ)電車」を大切に|間貞麿

「道産子(どさんこ)電車」を大切に

「道産子」という言葉をよく聞く。本来は「北海道和種」とも言う馬の種類を指す言葉であったが、転じて北海道生まれの人や事物にも使われるようになった。その伝で言えば、道産子電車は「北海道で作られた電車」ということになる。現在では鉄道車両は専業メーカーが製造するもので、鉄道車両会社のない北海道産の鉄道車両などとても考えられない。しかし、実は還暦を過ぎた道産子電車が、札幌市電を今なお走っている。

札幌市電は、ルーツの札幌石材馬車鉄道が開業して今年で111年、電車化されて103年、市電化されて94年目を迎える。終戦後、札幌市は道内企業育成のため道内業者による車両製造を企画した。当時、鉄道車両の修繕や簡易軌道の車両製造等を行う会社はあったものの企業規模が小さかったため、それらの企業が結成した共同企業体「札幌綜合鉄工共同組合(札鉄共)」に発注する形をとった。札鉄共に参加したのは泰和車両(現泰和=不動産賃貸業)、運輸工業(廃業)、苗穂工業(現札幌交通機械)、藤屋鉄工所(現富士屋鉄工の前身)、豊平製鋼(現JFE豊平製造所)の計5社である。

札鉄共が納入した札幌市電は1957(昭和32)年製の200形から1961(昭和36)年製の250形まで6形式43両にのぼり、登場当時「道産電車」と呼ばれた。主要機器は木造や半鋼製の4輪単車(250形は500形ボギー車)から流用したが、240形の一部は予備品を、230形は新品の主電動機を使用している。最初の200形は台枠まで流用したため全長がやや短く正面が3枚窓で外板の裾は垂直だが、その他の形式は札幌スタイルと呼ばれるヨーロッパ調の同一設計(250形は全長が50㎝長い)で、正面は1枚窓で腰に前照灯1灯、全体に丸みを帯びた車体で、外板の裾も内側にカーブした曲面となっている。客室窓は下段がサッシの上昇窓、上段は通称「バス窓」と呼ばれるHゴム使用の固定窓だ。

製造と比べると、車体外観は更新工事で大きく変化した。前照灯が1灯から横に分かれた2灯となり、運転台上の方向幕はLED化され、大型の運転席用の換気口と一体化され頭上に張り出した。老朽化した台車枠を川崎重工製の新品に交換した車両もある。しかし、今なお丸みを帯びた優美なスタイルは残っている。

1961年以降は増備がMc+Tcの「親子電車」や連接車になったため、札鉄共への発注はなくなった。43両あった道産子電車も、1989(平成元)年には210形4両、220形2両、240形7両、250形5両の計18両となった。2015年の環状線化による運用増もあり廃車はしばらくなかったが、低床車の増備により2020年に242号が廃車となり、残りは17両となった。この先、低床車両と交換に廃車が進むと思われる。数を減らす前に状態の良い車を選び、「北海道遺産」として動態保存してはいかがだろう。
(間貞麿)

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還暦を過ぎてもなお矍鑠とした道産子電車の札幌市電241号。
1960年4月泰和車両製。車体更新工事は苗穂工業の後身である札幌交通機械の施行だが、台車枠は製造時のまま

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